とがっていた川口能活が栄光と試練経て人間的に成長

横浜F・マリノスに所属していた若い頃の川口能活は、とがっていた。
あまりにも声が大きかったため、メインスタンドの客席にも聞こえるほどだった。味方のミスを許せず、当時チームの顔だったあるベテラン選手とも不仲な時期が続いたこともある。20代前半の若手が、チームリーダーにかみつく。
しかも尾を引く。団体競技ではあってはならない構図だ。代表クラスの選手が5~6人いながらも、一枚岩になれなかった当時の横浜は、優勝争いにも絡むことができなかった。
川口は「みんな能力が高いのに、それを試合で生かせられないのがもったいない」と何度か言った。自分を高めるため、チームに頼んで、規格より大きめのゴールマウスを特注して練習したり、今や誰でもやっているが当時では珍しい個人トレーナーと契約もした。試合でベストパフォーマンスを出すため人一倍努力していただけに、チームメートの練習量に不満を募らせた。
曲がったことが嫌いだ。彼の公式身長は180センチ。GKはフィールドプレーヤー以上に体のサイズが大事で、クラブがGKを獲得する際の判断基準の1つにもある。
そのためGKは自分を大きくみせようとする習性があり、公式サイズも実際よりやや大きく申告することがある。プロ3年目のある日、突拍子もなく言い出したことがある。「実は僕の身長は179センチなんです。」
チームにも訂正するように言いました。私はGKとしては小さいかもしれないけれど、そのハンディーを練習で克服していきたいと。当時私は「川口は絵に描いたような努力家で、鍛え方はアスリートの見本になるような存在。」
しかし団体競技の一プレーヤーとしては向いてないと思っていた。「もし彼が指導者になったら、選手がかわいそうとも思った。しかし年齢を重ね、代表落ちの試練もあり、Jクラブからも戦力外になるなど、試練を経験し、大人になった。」
代表ではベンチウォーマーの気持ちも味わった。若い自分を極限まで鍛えた記憶と、その延長線でつかんだ栄光。年齢とともに積み重ねた苦い経験。
そのすべてが肥やしになって、人間的にも成長した。今後、彼がどの道を歩むかは分からない。ただ指導者になれば、大きくて貴重なものを次世代に伝えられるような気がする。
【盧載鎭】(ニッカンスポーツ・コム/サッカーコラム「サッカー現場発」)◆盧載鎭(ノ・ゼジン)1968年9月8日、ソウル生まれ。88年に来日し、96年入社。入社直後はジェフ市原(当時)と浦和レッズを担当し、98年から3年間、横浜F・マリノス担当。

 
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buchi_momo @buchi_momo

「20代前半、チーム内の不協和音の原因を作ったことが何度かある」プロ1年目だか2年目だかサテライトの試合か何かで失点直後にグローブ外して地面に投げつけたり味方を怒鳴ったりしてる映像あったもんなー とがっていた川口能活が栄光と試練経て人間的に成長(日刊スポーツ)

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